「別れよう」


そう切り出したのは、自分からだったのに――――――。







 *























たいして広くもない部屋はひどく散らかっていて、寛げる場所などベッドの上とテーブル周りのほんのわずかなスペースだけだった。そのわずかなスペースに腰を下ろし俺は先刻から大して面白くもないバラエティ番組を見ているが内容は半分も頭に入ってこない。面白おかしく笑い転げる若手芸人や手厳しいツッコミでまた更に笑いをとる司会者が画面に映るが苛立ちが増すばかりで実につまらない。

手持無沙汰な状態が心許無くなり傍らに置いてあった煙草の箱に手を伸ばしたが、中身を取り出そうと握ったところでそれが空であることに気が付いた。今日の昼間、残っていた3本を立て続けに吸って切らしてしまったことを思い出した。買い置きは無論持ち合わせていなかった。己の失態に小さく舌打ちしながらも重い腰を上げテーブルの上に置かれた財布をつかみ夜のコンビニへ向かうため足を運んだ。


吸わない、という選択肢など端からなかった。


玄関を出ると外気がひんやりと晒された肌を冷やす。あれ、まだ冬だったかなと思えるくらい冷たい空気にぶるりと一つ身体を震わせた。家からコンビニまでは徒歩5分。少し急ぎ足になりながら目的地へと向かった。



* * *



『煙草を買いに行くだけなのにどうして私まで着いてかなきゃいけないのよ』

『いいじゃん。一人より二人の方が楽しい』

『もう、勝手!寒いのに』

『でも着いてきてくれてる』

『・・・・まぁ、二人でいる方が楽しいし・・・』

『だろ?』



* * *



あれはまだ冬の頃だったな。二人で寒い寒いと叫びじゃれ合いながらそれでも、繋いだ手の温もりや時折触れる肩に彼女の存在を確かに感じそれだけで心が跳ねた。瞬間瞬間が未だ鮮やかに思い出され自然と笑みが零れる。


幸せだった。

本当に。


当時よりも今の方がそれを痛切に感じている。あの頃僕らは幸せでした。何かの本のタイトルのようだとぼんやり考えながら右隣をそっと見やる。当然のことながら誰もおらず顔が知らず知らずのうちに歪む。この奇妙なぽっかりと空いた自分の隣にはもう慣れたと思っていた。だがしかし、そんなことある筈がなかった。奇妙だと思っている時点でとうに心は持っていかれているのだと自覚し、自嘲した。
本当に、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。
あの頃は、只々、どうしようもなく寂しかった。


修士に進んだ彼女はそれまで以上に忙しくなった。実験は時を選んではくれず、帰宅は常に遅いし経過を見なければならないと夜中に学校へ向かうこともしばしばあった。学生さんは楽でいいねとよくバイト先の社員さんたちに言われるが、彼女を見ているとそんなことはない学生は学生で忙しいんだと言ってやりたくなるくらいだった。

学業に忙しく毎日疲れ切っていた彼女は自分のことで精一杯だったのだろう。メールの返信もあまりこなくなったし電話にも出ないことが多くなった。それならばと渡された合鍵を使い彼女の部屋で待っていても帰ってくるのは夜も遅く、いつの間にか眠りこけているなんてこともざらにあった。
仕方ない。仕方がないんだと自分に言い聞かせ一人で食べる食事は全くと言っていい程美味しくなくて込み上げてくる熱いものごと飲み込むのに必死だった。女々しい自分が嫌いで誤魔化す様に吸う煙草の量も増えた。紛わす様に増やしたバイトのシフトも彼女と会う時間を削っただけだった。

そして、日に日に荒んでいく心はついに1つの決断をした。



最近ちゃんと会えないね、という話から次第にこの先の、これからの話になり、そうして遂に俺は決定的な一言を告げた。振り切るように絞り出した言葉を彼女は驚くことも取り乱すこともまして泣くこともせずただ淡々と受け入れた。まるでこうなることを予測していたかのように・・・。



* * *



『お互い、頑張ろうな』


無理矢理吐き出した言葉。


『うん』


そっと彼女が頷いた。


そうして、渡されていた合鍵を机の上にそっと置くと俺は逃げるようにして部屋をあとにした。もしかしたら引き止めてくれるかもしれないと、どこかで思っていたのかもしれない。楽になるために別れを切り出したのに胸の痛みは絶えず俺の身体を貫いた。



* * *



冷えた身体で辿り着いたコンビニで煙草を2箱買い店を後にする。たったこれだけの距離、事柄なのに彼女がいるのといないのとでは随分と心持が違う。すれ違い様にコンビニへ向かうカップルに目が行く。仲良く腕を組み笑いあう二人に嘗ての自分と彼女を投影させる。

馬鹿な。
そうとも、馬鹿げている。

離れたのは自分。
待てなかったのも自分。
悲しみにくれるくらいならと先にその手を離したのは自分であるのに今尚未練がましく彼女の姿を追い求める自分が情けなくて仕方がなかった。

焦れるように買ったばかりの箱から煙草を取り出し先端にライターで火を点ける。
白い煙が暗い空に向かって揺ら揺らと昇っていく。



〜♪



ぼんやりと空を見上げていると突如鳴り響いた電子音に肩をビクリと震わせる。
のそりと気だるい腕を動かしポケットに収まっている携帯電話を取り出すと小窓にメール受信の文字。誰からだろうとメールを開くとそこには見慣れない女の名前と「今から会えませんか」の文字。
はて、誰であったかと記憶を巡らすこと数十秒。漸くしてああ、と思い至った。先日の合コンで連絡先を交換した他大学の女の子だ。かわいらしい人だった。別れ際に、何が良かったのか俺の連絡先を教えてほしいと上目遣いでお願いされ、まぁいいかとアドレスを交換したのだった。その後2,3回メールでやり取りをしたのだがそれ以降向こうからの連絡は途絶えたのですっかり忘れていた。


「今から・・・?」


ポソリと呟いてから、誘いに対して余り乗り気でない自分に気が付く。ピポパと澱みのない指捌きでメールの返信を打つ。


件名:Re
本文:ちょっと今は無理。ごめん。


返信はすぐさま届いた。


件名:
本文:じゃあ少しだけ電話してもいい?
    すぐに終わるから。


迷ったが、すぐに終わるという彼女の言葉に承諾を告げる返信を送ると暫くしてから着信が入った。


「もしもし?」

「あの、えっと、夜遅くにごめんね?」

「ああ、大丈夫。何か用事?」

「う・・・ん。あの、・・・」

「・・・・ん?」

「・・・・・好き、です」

「え・・・」


驚きはそこまでなかった。どこかで、そうなのではないかと思っていたから。だがしかし、いざ言われるとその言葉の飾らない強さに心音が知らず早まる。


「付き合って、もらえないかな?」

「・・・・・・・・」


長い沈黙。
付き合えない。付き合うことはできないのだがどう答えれば彼女を傷つけずに済むだろうかと考えた故にできた沈黙を、それが答えなのだと聡く理解した彼女。


「・・・・困らせてごめんね。好きって、伝えたかっただけだから・・・」

「・・・・・ごめん」

「ん・・・いいの。じゃあ」


最後にまたね、ではなくバイバイ、と言った彼女はもう自分に連絡をするつもりはないのだろう。変わらず早打つ心は一つの単語を強く胸に刻み続けている。


「好き」


彼女の言葉が過去の記憶を呼び覚ます。















* * *



『起きてたんだ』

『・・・遅い』

『ごめんね、実験が長引いちゃって』

『・・・・・・・』

『でも寝ないで待っててくれると思ってた』

『・・・なんで?』

『だってイザは私のことが好きだもの』

『なっ・・・!!』

『好きでしょう?』


戯れに、けれどもにっこりと確信を持って言う彼女が眩しかった。



* * *





  好きでしょう?


  私のことが





頭の中で反芻される彼女の言葉に漸くプツンと糸が切れた。


「ああそうとも。俺は君のことが好きだ。好きなんだ」


確かめるように呟いた自分自身の声が瞬時に脳に届きもう一度確実なものになる。


一度は捨てた想いだった。
悲しみの淵に捨てた真実の想いだった。

その想いをもう一度掬いあげてくれたのは思い出の中の彼女だったし、やはりそれは彼女でしか為し得なかったはずだった。当然だ。捨てても尚溢れてくる想いの切っ先は初めから彼女にしか向いていなかったのだから。

俯いたまま自宅前で素早く用件だけのメールを想い人に向けて送信する。


受け入れなくても、もう一度初めから積み上げればいい。
突き放されても、何度でも縋ればいい。
そうまでしても求めるのを止められない程に彼女だけを想ってきたのだから。


好きだと、言おう。
逢いたいと、言おう。
伝えなければ、伝わらないんだ。


グッと顔を上げたイザの瞳にはもう迷いはなかった。



【END】



2010.4.24
りんご茶さんへの捧げもの。私に出来る精一杯のお礼をと考えたら小説しかなかった。